パナマ地峡鉄道

パナマ地峡鉄道

パナマ鉄道は1855年開業で、そのパナマ運河ができる前、いわゆるゴールドラッシュのころに活躍しました。パナマ市(太平洋側)を結ぶ全長48マイル(77㎞)の鉄道で同国唯一の鉄道かつ、世界最短の大陸横断鉄道で大西洋(カリブ海)と太平洋を結んでいます。
現在は平日に一日一往復のみの運行ですが、風光明媚で歴史的価値も高く今後の観光資源としての活用が期待されています。

パナマ地峡鉄道と日本人

米国に派遣された使節団一行

1858年に締結された日米修好通商条約の批准書の交換は米国ワシントンで行われることになっていました。江戸幕府は1860年初めに使節団を米国に派遣することになりました。(写真右)
一行は、米国の軍艦で太平洋を渡り、サンフランシスコで別の軍艦に乗り換え同年4月にパナマに到着、そこでパナマ鉄道に乗って大西洋側に至りました。
※下の図は使節団の渡航ルート

パナマ地峡鉄道

その時の様子を副使の村垣は、「やがて蒸気盛んになれば、今や走り出んとかねて目もくるめくやうに聞きしかば、いかがあらんと舟とは変わりて案じける内、凄まじき車の音して走り出たり」と記録に残しています。こうして一行は日本人として初めて鉄道に乗ることになったのでした。

この遣米使節団は総勢77名というものであり、その見聞を記録に残しているものも少なくありません。
その中でも、監察役として同行した勘定奉行の小栗忠順は、帰国後この米国訪問時での知識をもとに、幕府に対して種々の献策をしていますが、このパナマ鉄道については、株式会社による建設であるとの説明を受け、これをもとに、日本最初の株式会社とされる「兵庫商社」の設立建議書につながったとされています。

視察団が160年前に描いたパナマ鉄道の絵

(上の絵は、使節団の渡海日記に残されているパナマ鉄道の絵)

鉄道から船へ

パナマ運河

パナマ鉄道開通から60年。パナマ運河ができたことにより、物流における鉄道の需要は激減し、世界の物流を支える「黄金の馬」は鉄道から船へと取って代わりました。 しかし、アメリカ大陸を横断する運河建設において、パナマは激しい競争を勝ち抜いたわけで、その理由の一つがこの大陸横断鉄道の存在でした。その意味で、パナマ鉄道はパナマ運河の親であるとも言えるのです。

出版物のご紹介

パナマ鉄道開通に係わった男たちの物語、「黄金の馬~パナマ地峡鉄道~」が11/25刊行されます。
パナマ運河100周年の年に、日本でのパナマ人初の出版物を大いに歓迎したい。「黄金の馬」を通じて、国際物流の先駆者の開拓者精神を称賛し更なる発展を祈る。
元パナマ駐在日本大使
藤島安之
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